一生に一度は行きたい場所【箱根編】

 こんにちは!今回紹介するのは、箱根町仙石原にある「箱根リトリートföre」です。こちらは、11棟の独立したヴィラで成り立っているため、プライベートな空間の中で家族や大切な人、仲の良い友達だけでの特別な時間を過ごすことがで

きます。ヴィラにはキッチンや薪ストーブが設置されており、まるで森に囲まれ

た別荘で過ごしているかのような体験をすることができるでしょう。

また、温泉で有名な箱根の魅力を存分に味わうこともできます。施設内に併設さ

れた温泉施設「onsen f」では、美しい森を眺め、ヒノキの香りに包まれながら

の入浴を楽しむことができます。

自粛期間が長引き、自然を感じられる機会が減った今だからこそ、ゆったりと流

れる時間の中で自然を感じたいものですね!

 

 

一生に一度は行きたい場所【山梨編】

 こんにちは!旅行に行くことがはばかられる今、安心して出かけられるように

なった時のために卓上旅行を楽しみませんか?

今回紹介するのは山梨県北杜市にある清里テラスです。清里テラスとは

標高1,900mの山頂にあり、大自然を一望でき、特別な時間を過ごすことのでき

るテラスです。麓からパノラマリフトに乗り、豊かな自然や風を感じながら頂上

にある清里テラスを目指すことができます。また、清里テラスには5席限定の

プレミアムシートと呼ばれる予約席があり、人気は高いですが予約ができれば

一層の特別な時間を味わうことができるためとてもオススメです。

しかし、注意しなければならないことが一つあります!驚くべきことに、清里

ラスのある施設「サンメドウズ清里」は冬はスキー場として営業しています。

そのため、頂上の清里テラスは5月後半~11月前半までと期間限定で運営してい

ます。訪れる際には、時期を考慮することをお勧めします。

みなさんも、安全に旅行できるようになった際にはぜひ訪れてみて下さい!

 

 

おしゃれな日本語

 みなさんは日本語はお好きだろうか。

私はしばしば小説を読むのだが、小説を読んでいるといい日本語、洒落た日本語に会うことがある。洒落た日本語とは別に横文字のことを指しているわけではないですよ。ちょっと紹介したい。

独り言を言うって言う。でもひとりごつという言葉がある。これが独り言の動詞らしい。よくよく考えると「独り言を言う」ってうざいなと感じないだろうか。「頭痛が痛い」とか「大学に登校する」みたいな(ちなみにこれを重言というらしい)雰囲気がある。「独り言つ」の方が単純明快、かっこいい。

古い、とはいっても近代文学を読むと外来語をカタカナへと変換するときの今と昔との違いがわかる。たとえば梶井基次郎の『檸檬』ではイエローを「エロウ」と読んでいる。きっと当時は今より外来語をカタカナに変換する歴史が浅かったため、yellowをイエローと変換するとか決まった型がなく、自分の耳で感じた音を元に各々が自分の感性でカタカナに変換していたのかなと思う。作家ごとに変換の仕方にそれこそ色が出てて自由でいいなと思うし、社会がまだ「海外」に慣れていない感じが少しかわいい。

日本語っていいですよ。

 

 

チャレンジャーの精神

 みなさんは最近までジャンプで連載されていた「ハイキュー!!」という漫画をご存知だろうか。簡単に内容を説明すると高校生がバレーボールで全国制覇をめざす漫画だ。その「ハイキュー!!」のアニメが最近放送されていたので久しぶりに見ていた。その中で、あと一点どちらが点数を取るかで試合の勝敗が決すというもっとも緊迫した場面。控えの選手がコート上で凌ぎを削る選手たちの心情を語る場面があった。「ここで点取った奴がヒーローや」。そう語っていた。

普通の人間、いや私のような人間が勝負どき考えることは、「できるのか」とか「いやできる、自分を信じろ」とか基本外のプレッシャーについてとそれになんとか打ち勝とうということだ。
でも本当に勝負に集中している奴は違う。目の前の勝利や成功しか見えていない。バレーボールの試合だったら「この一点を取りたい」とか、受験本番だったら「この一問を解きたい」とか、きっと誰かに告白するときも「ああ付き合えたら楽しいだろうな」とか。凄まじい集中力だ。これが覚悟という奴なんだろう。
こういう勝負に集中し切った人と戦うにはやはり、自分も覚悟を決めるほかない。頑張っていきたい。

 

 

お誕生日サプライズ、される才能、する才能

 皆さんは誕生日にサプライズとかされたことはあるのだろうか。私はないし、した事もなかった。しかし最近友人のお誘いでお誕生日サプライズに参加した。基本的にははすに構えた性格なので、正直やる意味が分からなかったし、友人の誕生日に企画しようと思ったこともなかった。というより発想がなかった。そもそも誕生日を知っている友人がほとんどいない。そんな私には新鮮だった。カルチャーショックだった。私には企画した友人も企画された友人もとびきり鮮やかに映った。なるほど、どうりで私には思い付かない訳だ。誕生日にサプライズするのもされるのも才能なのだと思った。する側の才能は大きく3つ。

第1に何度か見ていること。自身がされたことがある、友人がやっている、されているのを見たことがある、snsで見たことがあるなどが挙げられる。やられたり見たりしていないとサプライズするという行為自体に馴染みがないため誰かに「やろう」発想にならない。
第2にやれば歓ぶという実感があること。仮に見ていたりやられたりしていても、「急にサプライズされたけどリアクションに困った。」、「急にやったら迷惑かも」、「所詮、仲良しを演出しているだけ」などと思う人は絶対やれないし、できない。
第3に仕掛ける相手を信頼できること。どれだけ1、2の条件を満たしていても友人に対して、「私はこの人を仲良いと思ってるけど、こいつは思ってないかも」と自分と相手との交友関係に自身が持てない人や「私みたいな人が祝っても、、」とか思ってしまう自己肯定感の低い人間はまずやろうと思えないし、思わない。される側の才能は大きく2つ。
第1に感情表現が豊かであること。やはり仕掛ける側も仕掛けた側に対して「歓ぶ」という行為を期待している。したがって「この人は喜んでくれる、そしてその喜びを表現してくれる」と周りに思われている人でなければならない。斜に構えている人間や、感情が表に出にくい人間はターゲットになりずらい。
第2にやはりある程度サプライズに触れていなくてはならない。サプライズに慣れていない人は、まずもって周りにいる人間にサプライズをする人、される人がいない人だ。だとしたら周りの人間に仕掛ける才能がある人がいないため、もう無理である。また、サプライズに対する免疫がないと想定外の出来事過ぎて相手が期待する、「歓ぶ」という反応を返せない。ここまでつらつらながながと述べてきたが、仕掛ける側にも、仕掛けられる側にももっとも必要とされる才能、それは今回私が1番「いいな」と思ったことであるのだけれども、それは素直さだと思う。仕掛ける側は本当に、単純に、純粋に相手が歓ぶことを想定して企画して、仕掛けられる側は本当に、単純に、純粋に歓ぶのである。きっとサプライズを仕掛ける、仕掛けられる人の中にはもっと打算で考える人、義務感や焦燥感に駆られて嫌々やっている人もいるだろう。でも今回参加したのは上手く説明できないけどそういう感じでないと実感できた。即興であったし、お金もかかってない、企画も杜撰だったけど、きっと双方に打算なく、緊張もなく、ただただ素直にやっていたと思う。だからいつか仕掛けられて素直に歓ぶ自信はないけど、企画はしてみたいと思った。こうやって客観的に見るのではなく。


 

 

羊文学『1999』

 今回は羊文学の「1999」という曲を紹介していこうと思います。タイトルの1999とは、ノストラダムスの大予言で人類が滅亡するとされていた年です。この曲は、歌詞にも「世紀末のクリスマスイブ」と出てくるように、ノストラダムスの大予言のもとで過ごすクリスマスをイメージしてつくられた曲です。いつも通りのクリスマスであれば、みんな穏やかな気持ちで過ごせますが、滅亡の年のクリスマスともなると人々の過ごし方や態度も変わってくるのです。「    それは世紀末のクリスマスイブ   僕が愛していたあのひとを

知らない神様が変えてしまった            」

という歌詞のように、焦りや混乱の中にいる人々は人間の醜い本性をあらわし、本当に大切な人を忘れたりしてしまいます。人々をこのような混乱に招いたのは、神の力などでは無く、人間の言葉です。ノストラダムスの大予言を信じ込んだ人々がそれを大きく拡大させていったのです。

1999年のノストラダムスの大予言が数多くの人々に影響を与えたのは、紛れもない事実です。そんな予言に騙されるなんて馬鹿だなあなんて思う人もいるかも知れませんがんが、人の言葉が与える影響力は恐ろしいものだと私は思います。

 

 

 

 

東京タワーと市ヶ谷の釣り堀と、東京芸術劇場前と新宿駅の東口

 東京はすごい街だと常々思う。

私は神奈川出身で東京は近い。でもそんなに都会な方ではない。すごく田舎なわけでもないけど都会なわけでもない、いわゆるベッドタウンに住んでいる。大学が池袋にあるおかげ(せいで?)で都会に、広い世界に引きずり出された。東京は、大きい人間みたいだと思う。好きなところもあれば気に入らないところもある。これから少なくともあと2年半は付き合うであろう東京は魅力的だと思う。私の東京の嫌いなところは、多くの人間がひしめいてるところだ。新宿、渋谷などの若者が多い場所はとにかく自己主張がすごい。歩いている人間も私服の人が多い。個性が出るからうるさい。あと広告もうるさい。映像をながしたり大きなポスターが貼ってある。広告方法の違いで主張する感じもうるさい。自己主張で溢れてて、溺れそうになります。自分と同じように一人一人に個性があって譲れないとこがあって毎日必死に生きているのかと思うと疲れる。社会を感じる。

でも東京には疎の場所がある。隠れ家がある。それは落ち着いた感じのカフェだったり、大学の人がいない教室だったり、綺麗なトイレだったり、都会のど真ん中にある駅から500メートルと離れない釣り堀だったり。慌ただしい時間の流れや喧騒から逃れられる場所がある。そういう場所がたまらなく好きで、自分を取り戻す時間は大人になっても大事にしたい。あと月並みな感想だけどやっぱり夢があると思う。東京を象徴する東京タワーに感動する。見上げるほど大きいビル群や、ハイブランドのブティックに。自分が思うよりずっと東京に憧れているのにびっくりすることが多い。そりゃそうだよね、だって小さい頃からテレビで見てたもん。東京はすごい。もっと知りたい。コロナにはそろそろお控えなすってほしい。